旧名:3.11福島復興支援応援集結サイト

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ごあいさつ。そして私の思いを
皆様へ

ごあいさつ

 
 
平素は、当サイトをご利用くださり、誠にありがとうございます。
2023年1月6日より運営方針を大きく変更致しました。前身のサイトを含め、本日13回目を迎えました。
 
ホームページアドレス(URL)を新規に取得し、
名称も「福島復興支援応援集結サイト」から、
「福島のミカタ」と名称も変更しコンセプトもデザインも、新しく生まれ変わりました。
 
そうした中、この一年様々考え、当サイトの役目を終える時が近づいているのかと思っております。運営を続けるか否かの検討を始めようと存じています。
 
無論、当サイトが消えても、福島を思う気持ちは消えません。また、閲覧者がおられる間は、一部のページは期間延長して残そうと存じます。
 
 
2011年3月、あの日の直後から当サイトを始め、この世界は心温まる人が多いと思うことが多々ございました。
 
インターネットの世界はワンワールドのため、聖も俗も、善も悪も内包されています。それ故に、誤った考えで使用し、誹謗中傷で他者を死に至らしめる者もいます。
その一方で人助けの情報を配信する奇特な人や、心温まる人が圧倒的に多いと思ってきました。このことを改めて当サイトの運営でも実感できました。心より嬉しく、当サイト閲覧者の方々に感謝しております。
 
誹謗中傷をする人の心根には正義心があるのでしょう。確かに、この世には絶対な正義や正論があります。また、他者をいじめる者も、パワーハラスメントを行う者にも、一理の言い分が、必ずあります。
だからこそ同時に、決して忘れてはいけないことが、人間にはある。
これに気づいてもらう必要がある時代になったと感じます。
 
いかなる偉人でも短所や悪い癖性分があり、人は誰しもが未熟なまま死に至る存在だということを。
 
そしてさらに、軽視できない厳しい現実は、全ての人は、自認の悪だけでなく、無自覚の悪、即ち自分では一生気づくことができない悪を有し、他を無意識に傷つけながら生きている。それが人間という生き物だということです。
 
この事実を忘れ、自分の正義、正論だけ押し通すということが、いかなることか。子供達に考える習慣を持たせることが大事と、ここ数年つくづく思います。
 
人は誰しも短所を許されながら生きる者です。だからこそ、己も人を許す力がなければ、安らかな人生は歩めない。
例えば、他者を思いやる心、許す心がなければ、誰と結婚しても円満にはなれない。我が子を厳しく責めるだけでは、親孝行には育たない。
会社の組織でも言えます。経営幹部、社員各位に協調性があるからチームワークが良くなるのではなく、忠恕の心が皆にあるからチームワークが良くなり、生産性があがるのです。
これらは、理想論ではなく、現実です。
 
ここで申し上げていることは、当サイトの趣旨と異なることを、私が話しているように思われるかも知れません。
 
 
当サイトの前身「福島復興支援応援集結サイト」時代に、ある御方から掲載依頼がありました。
それは、2013年に故高田賢三さんがパリで立ち上げた「起き上がりこぼしプロジェクト」の活動報告の掲載依頼でした。
このプロジェクトは、故高田賢三さんはじめ、アラン・ドロンさん等の名士、そして日本を代表とする漫画家の先生方が、起き上がりこぼしに絵付けをします。それらを、ヨーロッパ各国で展示することで、福島復興支援を呼びかける活動でした。
 
この際、福島復興支援に早くに名乗りをあげてくれた展示会場の一つに、キーウがありました。
展示会にお越しになった笑顔のウクライナ人の方々の様子が、今も映像に残っております。
福島を応援してくれた人達が今、爆撃の恐怖にさらされています。
 
恐らく多くの日本人は、このことを知らないでしょう。
この情報を当サイトで掲載する準備をする中で、制作の手が止まりました。
私が行っていることに、どれほどの意味があるのか。
自然災害は人間にとって恐怖ですが、それよりも遙かに恐ろしいものが、人の心の中にある。そのことに改めて感じる日々だったからです。
 
 

防災は個人でもできる。しかし、悪政に対する備えはできない。
戦争をすると決めた者は前線には行かず。
前線は戦争可否ができない者で埋め尽くされる。

 
 
戦争は、勝敗に関係無くコストパフォーマンスが悪い、投資対効果に見合うとは思えないのです。無論、それだけでなく、失うものの大きさが計り知れません。
何より深刻な現実は、怨みが残る。そしてそれが一代では終わらないことです。
 
何千年と繰り返す、過ちの歴史を学びながら、戦争が無益だと学習し止められる部位が、なぜ人間の脳に無いのか。つくづく、この切なさを考えさせられます。
 
その時、ふと祖父を思い出しました。私が幼い頃、「どうしておじいちゃんは、戦争を反対しなかったの?」、「なぜ宗教は、平和なときにしか平和の尊さを語らず。戦争になるといなくなるの?」矢継ぎ早に責め立てました。祖父は、「確かにお前の言うとおりだよ。でも難しいことなんだよ」とポツリと言って黙り込んだままになった姿が、思い出されました。
 
この時、黙った祖父の気持ちが、長引くコロナ禍におかれ、また戦争を傍観しているだけの状況におく自分をみて、ようやく判った気がしております。
 
他人の瑕疵を責めている自分に酔いしれ、時として、えも言われぬ恍惚な気分に浸れるのが人の心です。
しかし、人を責めるだけが上手くても駄目なのだと、改めて考える一年でありました。
 
 
 
他方、ここ13年の間に、良い勉強をさせてくださった方々がおられます。
福島県庁の職員の方々であり、福島県のアンテナショップの方々です。
 
福島県庁の職員に何度となく問い合わせしましたが、感心するほど応対が丁寧、それだけでなく、言葉に温かみがありました。
 
福島県のアンテナショップは、福島県内にありますが、東京の日本橋、大阪にあります。私は何度も日本橋のお店に買い物に行っておりますが、働く人達の様子に何度も感心しました。
 
一つでも多く買って頂こうという心根が、売ることだけではないからです。生産者の良さを伝えようと一生懸命働いておられる。この心根は、商人にとって非常に大事なことなのです。しかし昨今は、見る機会が少ないことが多くなっています。
 
福島のアンテナショップの人達の中には、どう見ても初めて店頭に立つ人だろうと思う人もいました。
しかし、上手い接客より遙かに大事なことがある。それを見せて下さいました。改めて商売で大事なことを、福島のアンテナショップの人達から学びました。
 
余談を申せば、売上不振、閉店倒産する小売業の人は、小売りは良品を仕入れて、販売する仕事だと単純に思っています。だから、すぐに行き詰まるのです。
ところが、成長が著しい小売業や大成功した創業者は、小売りは生産者の命を繋ぐ架け橋だと思って働きます。成否の違いは、ココなのです。
 
良い物だから売れるのではなく、良い物だと分かって頂くから売れるのです。だからこそ、なぜ良いのかを真摯に伝える努力が、いつの世も必要になる。それが商売なのです。
 
例えば、この酒は美味しいですよと言うより、なぜ美味しいのか理由を語る方が、売れやすいのです。
 
福島県庁の職員の人達の献身さを拝見し、福島の生産者の方々に、この一生懸命な姿を見せてあげたいと思ったこと、何度もございました。
改めて良い勉強をさせて頂きました。この場をお借りし御礼申し上げます。
 
 
 
最後に、思い出した祖父の面影を、改めて再掲載しました。
お時間が許すようでしたら御覧ください。祖父の御霊も喜ぶと存じます。
 
 

福島出身の祖父との思い出 

(2023年 掲載済)

 
改めて、当サイトの有様を考える中で、祖父を思い出しました。
そして令和の時代になった今、改めて考え深い、祖父の言葉を思い返しました。
 
生前、祖父に相談に来られた御夫婦が、「良い夫婦とは、どういう夫婦ですか」と、祖父に訊いたことがありました。
 
祖父は開口一番「柏手と同じ」と、答えました。
尋ねた御夫婦は、祖父が何を言っているのか、まったく判りません。
 
そこで祖父は、その御夫婦の前で、手を叩いて見せました。
 
「右手と左手を同時に叩くと、どちらの手のひらも痛くない。ところが、左手を止めて、右手だけで、左手を叩いてみなさい。途端に痛みを感じる。夫婦も同じだよ。自分が正しいと一方的に相手の欠点を責めていては、相手を痛めつけるだけで、何も生まない。人には皆、短所や癖性分がある。人の欠点を揚げ足とるだけなら、アホウでもできる。アホウでもできることを、一生懸命したところで、幸せにはなれないんだな」と、その御夫婦に話していたことを、子供でしたが、祖父の後ろで聞いていたのを覚えています。
 
柏手といった意味を補足すると、どちらかが我慢し、耐え忍ぶ関係では、良い夫婦とは言えない。我慢せず、思ったことは言い合う。ただし相手を責めすぎない。この間合いが、良い夫婦になる秘訣だと、祖父は教えていました。
 
人間関係を良好にするためには、間合いが大事になります。
夫婦の間合いを考えて生きる。家族の間合いを考えて生きる。他人との間合いを考えて生きる。末永く心を穏やかに暮らしていくための秘訣であります。
 
今は日本中が、他人の欠点に敏感で、人を許すことが苦手な人が増えています。
 
人間は、清濁併せもち未熟なまま死に至る生き物です。いかに立派な人でも欠点はある。したがって、人の世は人を許す能力が無い者に安寧の地はないということになります。
 
人の欠点や落ち度を責めている人自身は、気持ちが良くても、それが結果的に多くの人達を不自由にし、巡り巡って責めている本人にも戻ってくる。社会の繋がりとは、そういうものです。
 
この事実を、そろそろ気づかないと行けなくなった。私の祖父の言葉が改めて身に染みています。
 
コロナ禍が長期化する中、気づいた人もおられるかも知れません。
新型コロナウイルスだけが、人間を苦しめたのかと。全く別のものが原因で、多くの人達が危機に陥ったのではないか。私同様に、そう感じる人は、おられるのでは無いでしょうか。
 
病院で亡くなるということは、医療の限界か、医療過誤のいずれかです。あとは、死なない。これが現実です。私の父は、医師の診察ミスで他界しました。したがって、気休め無く身に染みております。
来院する人達が、この現実を覚悟し、医師は人間であって神ではないという自覚をもち、必要以上には医師を責めない社会にしていたなら、コロナ禍の情勢は変わったはず。そう感じております。
 
恐らく若い医師各位の方が、私以上に現実を判っていることではないかと感じています。
 
頭の良い人を強く責める風土にしてしまうと、賢者ほど自己防衛本能から責められる前に先手を打つようになる。この先手が、多くの人達にとって非常に窮屈な世界となっていく。医療以外でも同じ。教育現場や、行政現場でも同様かと感じます。
 
せっかく民主主義の社会で生きているのにもかかわらず、多くの人達が自らの考え違いが元で自由を無くす。若い方々には本気で考えて頂きたいと願うこと、年々増えています。
 
SNSも今となっては無くせないでしょう。先進国の多くが何百年もかけて、ようやく階級社会でなくなり、一人一人が自由を満喫できる時代になりました。それにも拘わらず、なぜ自ら監視国家のようにして不自由を選ぼうとするのか。
 
これに疑問を感じ、行動に出る若者が増えないと、大変な事になると予想しています。
 
 
深い考え無く、他人を責めれば責めるほど、自分の自由もまた狭まる。
 
 
こうした現象に、そろそろ多くの人達は気づかないと行けないのではないでしょうか。
自由がなくなる前に。
 
 
 

 

 
 

 
これからも、福島の人達に心温まる支援がありますよう心からお願い申し上げます。
 
同時に、2011年以降複数の地で地震があり、そして本年も地震で苦しむ方々がおられます。
被災された方々が一日でも早く、心安まる生活に戻られますよう重ねて祈願致します。
 

 

2024年3月11日
 
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